日本には彼岸という文化風習があり、ちょうど18日の日曜から今週いっぱいまでは春の彼岸の期間で、ちょうど春分の日が中日となっているようだ。
ただでさえ季節感などがなくなってきている昨今、個人的に、この彼岸の感覚を忘れない方がいいのかな、と思っている。
うちのお墓は、寺ではなくいわゆる里山の麓にある。里山と言えば人と山に住む動物とのグレーゾーンの様な役割を果たしているのだろうが、墓の近くまでイノシシが食べ物を探した痕跡があり、リアルにイノシシの存在を感じてしまう。
墓参りに、グンタを持って出かける・・・。
落ち葉に椿の花の赤が映えて、目に止まる!!!
雨上がりで、花びらに着いた水滴もまた風流な赴きに感じる。
いくつも墓石が立っているのではあるが、知っている人はじいちゃんだけで、そのじいちゃんが、こんな事を言っていた。
「あの崩れた生け垣の隙間から、スーッと風が抜けてくるのが、また風流だなあ。。。」と。
その時は、あまりよく分からずに、その風流という感覚を自分もいずれ感じたいもんだなあ・・・と思っていたが、最近は、少しだけそんな感覚が分かってきた氣がする。
以前、秋の彼岸の時期に青森のお山参詣という津軽地方最大の秋祭りから帰って来た時だった。夜遅くに家に着いたのだったが、ちょっと不思議な感覚を持った。
数年前に死んだ愛犬ブンの雰囲気と匂いが漂ってきたのだ!?
ご先祖さまのみならず、動物までも戻ってくるのが彼岸かあ・・・と、その時に記憶に刻まれたのだった。
そんな彼岸に「江戸彼岸桜」を見に行くことができた。やはり彼岸の空気感というのは、独特な感じがあり、墓参りに行ったり、そんな花も愛でつつ、日常生活の中で滞った感覚をリセットするような印象もある。
河原に行ってみれば、一本のソメイヨシノが満開だった。なんでこの木だけ満開???という感じだが、なかなか良い風景となっていた。
ソメイヨシノは、花単体では、桜のイメージよりも地味な感覚を抱くのだが、画像を編集してみてイメージが変わってきた。。。こうすると、ソメイヨシノの花の持つ魅力が少し見えてくる感じがしてくる。
菜の花の黄色が、春の風を呼んでくれているようだった。
春の彼岸に、ゆったりした時間を過ごすことができた。