撮影の翌日は、櫓の撤収作業だった。そして、関東から駆けつけてくれた、小林さんとすぎさんは、この日で帰路につくので、朝は、やっぱりこれ!!!
この光景を何度みたのか!?というほどのデジャブの様でもある、大喜多の天ぷらうどん!!!!
これだけ食べても飽きないのは、物凄いことだと思ってしまう。
撤収の日も、天候に恵まれ氣持ち良く作業をすることができた。
建てるのは、かなり苦労したが、ばらす時はかなり早かった!!!
小林さんとすぎさんが、黙々と柱を運んでくれる。
そして、何も無くなり元の砂浜に。
このリセット感は、本当に素晴らし過ぎる!!!
あっという間に、防波堤の外に。
これだけ出てると、絶対に捕まるということで先端を切って運搬することとなった次第。。。
驚いたことに、小林さんが乗る、観音寺からの電車が運休してしまっていたので、同じ方向のすぎさんの車で途中の駅まで行ってもらうこととなり、同じ時間を過ごした二人が、最後も一緒に帰るという、なんとも粋というか縁が繋がったというか、面白いもんだなあ、としみじみ思ってしまった出来事だった。
やはり関東から身銭を切って、この有明浜まで駆けつけてくれるというのは、まずあり得ないことだし、そんな人間が二人もいたことが、今回の奇跡にも繋がっている様にも思えてならない。
一番嬉しいのは、自分が大切にしている感覚に共感してくれて、行動を起こしてくれているということだ。そして、二人ともクラウドファンディングで応援までしてくれているという粋さ加減だ。
俺自身も、大きな金額ではないが「浜辺のサヌカイト」のクラウドファンディングはしているが、カードで払えてしまうので、今後どうなるのかは微妙な展開でもある。
このプロジェクトに関わらせてもらったおかげで、目に見えない世界がものすごく豊かになった反面、現実的な面では、俺がクラウドファンディングしてもらいたい状況でもあるのは事実だ。
「まあ、なんとかなるから、その瞬間その瞬間を大切に生きていれば大丈夫だぞ!!!」と天の声が聞こえた氣がしている今日この頃だ。
しかし軽トラという、日本が世界に誇る自動車の機動力は凄まじい!!!
あんな違法な長さの竹や柱を運ぶこともできるし、その乗りやすさというが凄い!!!
荷物を積んでなければ、かなり速いし、運転していて楽しいというのはかなり素敵だ!!!
色々な状況が許せば、マイカーは軽トラが最高なんじゃないかと思ってしまった。
そして、翌日の夕陽は、美しかったが予測できるものだった。
前日の、あの神秘の儀式に相応しい開眼する赤い目の様な光景は、土取さんをはじめとするプロジェクトのメンバーの願いや想いが、地球と大自然と多少なりとも呼応した結果だった様にも感じられてしまったなぁ。
本当のラストは、カメラマンの小笹くんのテントの前で、サヌカイトの櫓を作った時に出た木端を焚き火にしての残った関係者での直会となった。トイレから戻った時に一枚撮ったが、遠目ではかなり怪しい集団にも見えた。
その後、小笹くんと庵谷さんの二人の宴が続いたようで。。。。
後から聞いた話では、録音の庵谷さんは深夜に波の音を録りに行ったというし・・・
小笹くんは朝方サヌカイトの写真を撮っていたという話・・・
まさに、夜神楽の様にそれぞれの心の中に「浜辺のサヌカイト」の音が今も尚、鳴り続けているのかもしれない。
俺自身の身体の深い部分にも、その音が鳴り続けている感覚があるのは事実で、これは、何回か体験している特殊な祭禮や儀式特有の感覚と似ている。
「浜辺のサヌカイト」プロジェクトとは、現代に蘇った一夜限りの秘密の儀式だったのだと思えてならない。
そして、間違いなく今回のプロジェクトを陰で支えてくれたのは、この大喜多の天ぷらうどんに他ならないのだ!!!
これは、観音寺を発つ日の朝、天ぷらうどんに、ちくわ天も追加して締めくくった一枚!!!
大喜多スパイラル、これにてひとまず完結したり。
このスパイラルに戻って来れる日を夢見て、「浜辺のサヌカイト」スタッフ目線の記録を終えたいと思う。
最後に、今回のクラウドファンディングのリンクを紹介しておきたい。
中心のスタッフとして関わっても、未だ上手く説明できないが、この太古から流れ続ける大切な核心的な要素を体現できる数少ない存在である土取さんが演奏する、浜辺のサヌカイトの響きは、絶滅した恐竜が現代に蘇る様な奇跡的な事だと勝手に思っております。
見た事もない聴いた事もない響きを、応援していただけたらありがたい限です。