Dragontone /石坂亥士

神楽太鼓奏者・石坂亥士のブログ

神楽なるもの

自分にとっての「神楽」と言うものは、やはり地元桐生の広沢賀茂神社太々神楽だ。この神楽は、いわゆる里神楽の分類されるもので、栃木県の佐野の方から伝わったと言う話だ。

22歳の頃、初めてこの神楽を見た時は、春の例大祭の宵祭りだった。

見物人が誰も居ない境内は真っ暗で、灯りのついた神楽殿が闇に浮かんでいて、タイムマシーンの様に見えたのを思い出す。

俺しか見てないのに、真剣に台詞のある「狐釣り」と言う幕が上演されていた。辿々しい台詞回しに、師匠が「そうじゃねぇだろうがぁぁぁ!!!何やってんだおめえは!!!」とかなり激し目の檄が飛んでいた。

今まで見た、早池峰神楽をはじめとする、県外の神楽や芸能で、こんな光景に出逢ったことはなく、正直、良い意味ですげえなあ・・・、と思って、興味を覚えたのだ。

大の大人が師匠に怒られながら、真剣に舞を舞う姿がとにかく好印象だった。

後に、その激しい師匠から、いくつもの舞を伝授されることになったのだ。

若かりし頃、かなり勝氣でもあったので、師匠の横暴な怒り方に喰ってかかろうとしたこともあったが、仲間の神楽師が間に割って入って、事なきを得たこともあった。

その間に入ってくれた仲間が、最近会長となって、この秋祭りから少し積極的な動きが始まったのである。

何をもって、「神楽」と言うのかというと、正直なところ分からない。

俺たちの神楽殿は、神殿よりも高い位置にあると言う、あり得ないことになっている。そんな高い神楽殿でお囃子を演奏することや舞いをすることでしか得られない感覚があるのだ。

春のお祭りと秋のお祭りの年に二回しかない貴重な経験を、一回一回大切に積み重ねていくことで、階段を一段ずつ登っていく様に神楽的感覚が身に付いていくのだと思うのである。

俺の個人的感覚だと、神楽殿という時空間変換装置によって、神楽師が神楽の時空へと連れていかれ、養成されていくのではないかと思っている。

そして、神楽殿と共に、太鼓も神楽の世界へ誘う装置なことに違いないのである。基本となる細かいリズムを叩くツケ太鼓に対して、リズムの速度や雰囲氣をコントロールする大胴がある。この大胴の宇宙観たるや、凄まじいの一言だ。

もしかしたら、この大胴によって神楽の宇宙観がコントロールされていると言ってもいいほどかもしれない。

10月15日の宵祭りでは、「白黒翁三番叟」の一幕が奉納される。翌16日の本祭りでは、「白黒翁三番叟」「大蛇(オロチ)のひとり舞」お昼を挟んで、「道開けの舞」「稲荷山種蒔きの舞」がそれぞれ奉納される。

俺は、宵祭りと本祭りで白翁を舞うことになった。白翁の舞は、ずっと前会長が舞っており、その名人芸に近づこう追い越そうで切磋琢磨している最中なのである。舞台清めの舞とされる「白黒翁三番叟」は、とても渋いが奥の深い演目だと言える。白翁の幽玄な世界観に対して黒翁のどこか滑稽な舞のバランスが絶妙なのだ。

そして、久しぶりとなる「道開けの舞」の猿田彦命も舞うことになった。眼光鋭い猿田彦命の舞をこのタイミングでできることに感謝しつつ、ガッチリ道開けの舞をやって来ようと思っている。

ラストは、種蒔きで、とこひょ役となる。面白おかしく盛り上げて、餅を降らかしてお供物のお裾分けとなるのである。

 

10月15日(土)は、17時過ぎから「白黒翁三番叟」を上演予定。あくまでも予定なので多少の前後がある可能性もありです。

16日(日)は、10時半頃から「白黒翁三番叟」「大蛇(オロチ)のひとり舞」ここでお昼休憩となり、13時頃より「道開けの舞」、15時頃より「稲荷山種蒔の舞」にてお開きとなる予定。

いわゆる公演とは違うので、とにかく余裕を持って、お弁当やおやつを持参して神楽見物!というスタイルが楽しいし、おすすめかと!!!

お酒の一本も、神楽殿まで持って来て奉納していただけると、神楽師との距離が急速に近くなるので、こちらもおすすめです!(笑)

まあ、しかし、先日も神楽師の大先輩が旅立ったこともあり、先輩方はかなりの高齢なので、いつ何があってもおかしくないのである。

この秋祭りから始まると同時に、今回で最後という可能性も秘めているわけだ。

とりあえず、この秋祭りはギリギリ良い形でできるので、氣になる方は是非見ていただきたい!!!