今年の節分は、思い立って赤城の小沼へ行って来た。

水位がどの位になったのか氣になったのと、凍結した湖面を歩いてみたいと言う事と、節分と言う節目のタイミングで小沼の中心に音を響かせたかったのだ。
楽しそうなので、もれなく小さな達人たちも付いて来ると言う状況下で、極寒の小沼へ降り立ったのでありました。

実は、バリ島の僧侶の方々が使っているグンタが3つあって、小沼の中心付近に3つのグンタが鎮座したのでした。
3人で、挨拶をしてからグンタを鳴らし始めた瞬間、突風が吹いて来て手袋などが湖面を滑って行く。しかしその響きは、あり得ないほどに清らかに澄んでいて、音本来の在り方を示唆してくれている様だった。
短い時間だったが、グンタの祈りの音が湖面に響いて、その後は、風がピタリと止んで穏やかな空間となったのだった。
偶然にも前日に読んだ本に、ある僧侶の方が、ダム湖で御祈祷をした時に祈り始めた時には風で湖面が波立って、御祈祷の終わった後には、ひたーッと湖面が静かになったんだと言う。

正に、そんな感覚を体験したのでありました。
変幻自在に変化していく水。厳しい寒さの中だからこそ出現する、自然の造形美の奥深さには驚かされるばかりだ。
物凄く意味のある節分の日となりました。

あの大太鼓の轟が忘れられず、今年は、それを子どもたちも体験したいと言うので、小沼の奉納3人組で出かけたのでした。

空氣が振動すると言うのを、身をもって体験できる、氷川神社の午前6時を告げる号鼓の轟!!!
この打ち鳴らされる鼓面のすぐ側まで行くことができるので、リアルに空氣が振動する。
日常にあるシンプルな音は、本当に心地良く響くもんだなあと思う。氣負いのない良い太鼓の音を体験したければ、どこでも言い訳ではないだろうが、神社の御祈祷で最初と最後に打ち鳴らされる、神迎えと神送りの太鼓か、この氷川神社の様な号鼓がいいのかな、と思ってしまう。自分の太鼓の音も、そんな心地良く響く太鼓でありたいもんである。
子どもたちは、身体がビリビリした!!!と興奮していたほどで、これは、年齢に関係なく感動してしまうと思う。

闇という文字は、門の中に音と書くが、正にこの門の中に音の真髄が凝縮している様でもあった。

闇にざわめく木々、木々の間から見える丸い月。。。

今の世に必要な、シンプルでありながらもブレない強烈なエネルギーの象徴なのかもしれないと思える。

帰り際に見えた、池に映し出される表裏一体の世界は、あの世とこの世の様にも見えて来る。
短い水汲みの時間だったが、かなり凝縮した時間となりました。

1月22日に開催した新春神楽のライブの時に、「立春は家族でひっそりと演奏しようと思ってるんですよぉ。」
とポロリと言った一言から、「それは参加しなくちゃ!」となり、再び集結することになった立春大吉ひっそりライブ。
せっかく来てもらえるなら、小林さんには音叉持参で!!!
と言うことで、急遽即興セッションが開催。

氷川神社の号鼓の轟を体験したことで、獅子舞の魂に火が着いてしまったと言う姉弟は、約1時間の演奏の間、獅子舞をやり続けると言う展開に。

日頃は、公演として演奏活動をしているわけだが、こんな節目のタイミングで仲間で集まって響き合わせができるのは、本当に幸せなことだと思えた立春の日となりました。
この音が、ふたつの立春大吉ソロライブに繋がって行くのだと思えるのである。


集合写真というよりは、親族写真になっている不思議な面々。