昨年より、変体仮名文字の書道講座に参加している。
漢字は子どもの頃からやっているので、それなりに慣れているのだったが、仮名文字というのは、これまた慣れないもんで、なかなか思う様にはいかない・・・。
しかし、それもいいもんで、墨をすって白い紙に向き合って、一発勝負というのは気持ちよいもんなのである。
年度末なので、作品を書くというので、選んだのが、杉浦康平さんの著書、「宇宙を叩く」にある一説だった。
氣は音に従い
音は氣に従う
氣が動くと音を発し
音が発せられると
氣が震える・・・・
(『化書』十二葉)
氣と音の関係、とても興味深い・・・。
両方とも目には見えないだけに、興味が持てるのかもしれない・・・。
先生が言っていたが、こんな興味深い事を言っていた。
日本では、書は誰が書いたかよりも、美しければよしとしていた。。。
オレが、オレが、ということではなく、ゆるやかな優雅なものを良しとした文化だった。
そんな日本の文化を意識しつつ、音を出していきたいもんである。
ちょうど、先日、前橋の特別擁護老人施設での活動の報告がアップされた。この活動も、そんな日本の文化を意識しつつ、誰がやっているか、というよりは、やっていることがどうなのか?ということが重要なのだと思える。
なんと言っても、映像記録として残しているのが凄い!!!
と言っても、映像だけ見ると錯覚してしまうかもしれないので、補足しておきたい。
いろいろな即興の概念はあるが、自分の即興の捉え方は、大きな流れはあるが、常に最高の状態ではない。関わる人間それぞれのエネルギーが好き勝手に流れて行くので、客観視すると相当混沌としたカオスの状態も立ち現れるのだ。
実は、このカオス感というのが後に起きる、奇跡的なエネルギーの融合へと繋がっていく前振りとなり、それは、演奏家とのセッションでもそうだし、子どもたちとのワークショップもしかり、えいめいの様なワークショップでも起こるのだ。
この映像は、映像作家の岡安君が、何度も活動を共にしているチームの一員なので、そんな瞬間を着実に記録してくれていて、その奇跡的なシーンを上手く編集してくれているわけだ。
個人的には、今回の活動では、一見無駄に思える、表に現れてこない時間も、また大切なひと時だととらえて現場に立っている。対象が老人なので、積み重なりはしないが、その時感じるものは、本物だと思えるし、濃密なやりとりが実際にできているとも思える。そして、この世を去って行く方もいる、リアルな現場でもある。
文化庁×群馬大学共同研究プロジェクト/2017年度の記録映像 | 表現の森