Dragontone /石坂亥士

神楽太鼓奏者・石坂亥士のブログ

森は静かに動いている。

18日の月曜日に、久しぶりに特別養護老人ホームえいめいでのワークショップがあり、その時の記録として今日はブログにアップしております。
 
「森は静かに動いている。」
という出だしから始まる、以下の映像作家の岡安君のfacebookの記事を以下に転写させてもらいます。
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森は静かに動いている。

昨日は5ヶ月ぶりのアーツ前橋「表現の森」特別養護老人ホームえいめいでの、石坂亥士さん・山賀ざくろさんによる活動の動画記録だった(リンク先は昨年の記録)。

老人たちと正面から向き合って演奏する・正面から働きかけることをしてみた。亥士さんざくろさん共通の変化だった。特別養護での活動も一年以上が過ぎ、即興ではあるものの変化は起きている。

「人間の心臓は三拍子。それでいくといいみたい。今日はリズムを使って、スイッチを入れることを心がけた。一度入ったスイッチは、切れない」

今日の亥士さんの言葉。終盤、彼は古い太鼓を打ち鳴らしながら会場を回った。身動きが出来ない老人もいるが、手元のマラカスを振り続けるおばあさんもいる。亥士さんに向かい挑発的に楽器を突きつけるおじいさんもいる。個々と向き合いながら、全体の温度が上げていくかのようだった。

その効果なのかどうかはわからないが、今日は老人同士で楽器を鳴らして笑ったり(これは特養ではなくデイサービスから来たのわりと元気な方たちだったようだが)、楽器を机の向こうの老人へ投げて、相手も投げ返したりと、老人同士の関わりもいつもよりあったように思う。

そして大げさに言えば、楽器を鳴らせない、目で亥士さんやざくろさんを追えるか追えないかの老人たちも、温度が上がっているかのように思えた。全て主観でしか言えないのだけど、場全体が目ではわからないくらいゆっくりと動いているような・・今までとは違う何かが起こったような気がした。

それだから演奏を終えた直後、汗だくの亥士さんにカメラ越しでつい「今日どうでしたか?」と聞いてしまった。そこで出たのが、「今日は色々試してみた。心臓は三拍子だから・・」という言葉だった。それを聞いて思わず「新しい気がしました」と言ってしまった。自分で言っておきながら、なんと間の抜けた言葉だろう、と思いながら。

えいめいでの活動は、今年もあと数回続く。今日感じたものは明らかにアートでしかなし得にくい領域の事象だったと思いつつも、それが社会的に何に役立つのかは、相変わらず言葉にするのが難しい。 

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映像作家だからこそ持てる視点のものでもあるし、非常に興味深い。
 
このチームえいめいは、特別養護老人ホーム(以下、特養)へ押し売りとまではいかないが、押しかけていくのです!!!
勿論、コーディネートしてくれる木村さんが施設との調整をしてくれて、円滑に物事は進んでいきますが。
 
初めて、この特養の施設へ足を踏み入れた時、「これは、バックギヤに入れて速攻で後退!!!」という空気に満ちていた。。。
 
しかし、元来難しい方向へ舵を切っていく習性を変えることができなく、「ここには何かあるな!?」という直感で、この特養でのワークショプが始まっていったのだった。
 
これは、一般的な見方ではなく、あくまでも表現者と言う立場からの視点で、もの凄くやりにくい対象という印象でしかなかった。何と言っていいか、上手い例えが見つからないが、自分の知っている表現としては、こんな感じだったろうかと思う。
 
ある時、実家で飼っていた老犬の「ブン」の鎖が取れて、脱走してしまい、何日も見つからなかった。最終的には、警察が保護して保健所へ連れていかれ、檻に入れられていたとのこと。
それを、父が迎えに行って、檻の中のブンと対面した時には、ほぼ無反応で、外に出てようやく「おっ、元気出て来た!!!!」という風に走り廻ったという話が思い出されたのだ。
 
まさに、最初にこの特養を訪れた時に感じたのが、あまりにも「無」という表現が当てはまり、父がブンと対面した時は、こんな感じだったのかな・・・・???という無な空気感だったのだ。
 
それが、回を追うごとにその空気感も含めおじいちゃん、おばあちゃんの雰囲気も歓迎ムードな、あたたかなものに変化してきた感じがしているのだ。
 
勿論、こんな事に一切興味は無い!!!と憮然とした態度の方も居るが、そんなことは、俺やざくろさんの知った事ではないのである。(ざくろさんは、少しは気にしているかもしれないが・・・)
 
慰問の演奏や発表などは時々あるとのことだが、「チームえいめい」でのワークショップは、慰問なんて生易しいもんではないのである!!!
 
これは、表現者生命を賭けたある種の真剣勝負なのでもあり、言葉というものを自由に操れなくなった方々の感覚は冴えまくっているのだ!!!
 
外見や雰囲気に騙されてはいけないのである。全ての方々がそうとは言い切れないが、伊達に歳はくってないのが年寄りであり、昔であれば、長老として、それぞれのコミュニティに君臨していたであろう方々なのだ!
 
今回は、そんな片鱗を垣間見た感じがして、「おうっ、ようやくこの感覚が掴めたか!!!」と言われている氣さえしてしまった。
 
実際に、いつも俺の太鼓と違うリズムを手で叩いているおばあちゃんからは、「がんばぁれぇ!がんばぁれぇ!」と応援されてしまった。
 
「チームえいめい」で関わっているこの特養のワークショップは、今、自分に課された課題の様な氣もしてしまうくらい白熱した現場なのである。
 
岡安君の映像
それを、父が迎えに行って、檻の中のブンと対面した時には、ほぼ無反応で、外に出てようやく「おっ、元気出て来た!!!!」という風に走り廻ったという話が思い出されたのだ。
 
まさに、最初にこの特養を訪れた時に感じたのが、あまりにも「無」という表現が当てはまり、父がブンと対面した時は、こんな感じだったのかな・・・・???という無な空気感だったのだ。
 
それが、回を追うごとにその空気感も含めおじいちゃん、おばあちゃんの雰囲気も歓迎ムードな、あたたかなものに変化してきた感じがしているのだ。
 
勿論、こんな事に一切興味は無い!!!と憮然とした態度の方も居るが、そんなことは、俺やざくろさんの知った事ではないのである。(ざくろさんは、少しは気にしているかもしれないが・・・)
 
慰問の演奏や発表などは時々あるとのことだが、「チームえいめい」でのワークショップは、慰問なんて生易しいもんではないのである!!!
 
これは、表現者生命を賭けたある種の真剣勝負なのでもあり、言葉というものを自由に操れなくなった方々の感覚は冴えまくっているのだ!!!
 
外見や雰囲気に騙されてはいけないのである。全ての方々がそうとは言い切れないが、伊達に歳はくってないのが年寄りであり、昔であれば、長老として、それぞれのコミュニティに君臨していたであろう方々なのだ!
 
今回は、そんな片鱗を垣間見た感じがして、「おうっ、ようやくこの感覚が掴めたか!!!」と言われている氣さえしてしまった。
 
実際に、いつも俺の太鼓と違うリズムを手で叩いているおばあちゃんからは、「がんばぁれぇ!がんばぁれぇ!」と応援されてしまった。
 
「チームえいめい」で関わっているこの特養のワークショップは、今、自分に課された課題の様な氣もしてしまうくらい白熱した現場なのである。
 
岡安君の映像
 岡安君の編集してくれた映像を見返してみると、今回のそれぞれのご老人の反応は、継続していたからこその、積み重なった反応でもあった可能性も感じとれ、何が正解かは分からないが、個人的には、彼らと音を介してやり取りしている時に生じる、良い演奏家との即興セッションの時に感じる音のやり取りの妙味があり、その感覚は間違いなくお互いが共有できている様に思える。
 
おそらく、この特養の方々の大半はその感覚もリセットされ、次回行く時には、新鮮な出会いに感じてくれているかもしれないが、自転車には、一度乗れれば、その後も乗れるのと同じく、この即興の音のやりとりの感覚を自然と身体と心が覚えていてくれるのかもしれないかな・・・。
 
まあ、そんなことはどうでもいいことで、フラットな身体と心で、その日・その場所に「チームえいめい」が行って、音や動きを介して交流するということと、それにプラスして、季節と心身と音や楽器の絶妙なバランス感ということな氣がする今日この頃であります。