ある時、実家で飼っていた老犬の「ブン」の鎖が取れて、脱走してしまい、何日も見つからなかった。最終的には、警察が保護して保健所へ連れていかれ、檻に入れられていたとのこと。
それを、父が迎えに行って、檻の中のブンと対面した時には、ほぼ無反応で、外に出てようやく「おっ、元気出て来た!!!!」という風に走り廻ったという話が思い出されたのだ。
まさに、最初にこの特養を訪れた時に感じたのが、あまりにも「無」という表現が当てはまり、父がブンと対面した時は、こんな感じだったのかな・・・・???という無な空気感だったのだ。
それが、回を追うごとにその空気感も含めおじいちゃん、おばあちゃんの雰囲気も歓迎ムードな、あたたかなものに変化してきた感じがしているのだ。
勿論、こんな事に一切興味は無い!!!と憮然とした態度の方も居るが、そんなことは、俺や
ざくろさんの知った事ではないのである。(
ざくろさんは、少しは気にしているかもしれないが・・・)
慰問の演奏や発表などは時々あるとのことだが、「チームえいめい」でのワークショップは、慰問なんて生易しいもんではないのである!!!
これは、
表現者生命を賭けたある種の真剣勝負なのでもあり、言葉というものを自由に操れなくなった方々の感覚は冴えまくっているのだ!!!
外見や雰囲気に騙されてはいけないのである。全ての方々がそうとは言い切れないが、伊達に歳はくってないのが年寄りであり、昔であれば、長老として、それぞれのコミュニティに君臨していたであろう方々なのだ!
今回は、そんな片鱗を垣間見た感じがして、「おうっ、ようやくこの感覚が掴めたか!!!」と言われている氣さえしてしまった。
実際に、いつも俺の太鼓と違うリズムを手で叩いているおばあちゃんからは、「がんばぁれぇ!がんばぁれぇ!」と応援されてしまった。
「チームえいめい」で関わっているこの特養のワークショップは、今、自分に課された課題の様な氣もしてしまうくらい白熱した現場なのである。
岡安君の映像
それを、父が迎えに行って、檻の中のブンと対面した時には、ほぼ無反応で、外に出てようやく「おっ、元気出て来た!!!!」という風に走り廻ったという話が思い出されたのだ。
まさに、最初にこの特養を訪れた時に感じたのが、あまりにも「無」という表現が当てはまり、父がブンと対面した時は、こんな感じだったのかな・・・・???という無な空気感だったのだ。
それが、回を追うごとにその空気感も含めおじいちゃん、おばあちゃんの雰囲気も歓迎ムードな、あたたかなものに変化してきた感じがしているのだ。
勿論、こんな事に一切興味は無い!!!と憮然とした態度の方も居るが、そんなことは、俺や
ざくろさんの知った事ではないのである。(
ざくろさんは、少しは気にしているかもしれないが・・・)
慰問の演奏や発表などは時々あるとのことだが、「チームえいめい」でのワークショップは、慰問なんて生易しいもんではないのである!!!
これは、
表現者生命を賭けたある種の真剣勝負なのでもあり、言葉というものを自由に操れなくなった方々の感覚は冴えまくっているのだ!!!
外見や雰囲気に騙されてはいけないのである。全ての方々がそうとは言い切れないが、伊達に歳はくってないのが年寄りであり、昔であれば、長老として、それぞれのコミュニティに君臨していたであろう方々なのだ!
今回は、そんな片鱗を垣間見た感じがして、「おうっ、ようやくこの感覚が掴めたか!!!」と言われている氣さえしてしまった。
実際に、いつも俺の太鼓と違うリズムを手で叩いているおばあちゃんからは、「がんばぁれぇ!がんばぁれぇ!」と応援されてしまった。
「チームえいめい」で関わっているこの特養のワークショップは、今、自分に課された課題の様な氣もしてしまうくらい白熱した現場なのである。
岡安君の映像
岡安君の編集してくれた映像を見返してみると、今回のそれぞれのご老人の反応は、継続していたからこその、積み重なった反応でもあった可能性も感じとれ、何が正解かは分からないが、個人的には、彼らと音を介してやり取りしている時に生じる、良い
演奏家との即興セッションの時に感じる音のやり取りの妙味があり、その感覚は間違いなくお互いが共有できている様に思える。
おそらく、この特養の方々の大半はその感覚もリセットされ、次回行く時には、新鮮な出会いに感じてくれているかもしれないが、自転車には、一度乗れれば、その後も乗れるのと同じく、この即興の音のやりとりの感覚を自然と身体と心が覚えていてくれるのかもしれないかな・・・。
まあ、そんなことはどうでもいいことで、フラットな身体と心で、その日・その場所に「チームえいめい」が行って、音や動きを介して交流するということと、それにプラスして、季節と心身と音や楽器の絶妙なバランス感ということな氣がする今日この頃であります。