前日に場所は決まっていたので、節分当日は少し整えるくらいで、本番を迎えることになった。
銅鑼のセットも良い感じに馴染んでいて、出番を待っている様だった。
今回は、福を招き入れるとうザックリしたテーマがありつつも、即興セッションでもあり、その場で何が必要になるかわからないので、とりあえず閃いたものを持って行ったのだ。
会場の中央に向けて三角形に、銅鑼セット、撃鼓、神楽太鼓という風に楽器を配置した。
俺の楽器は、基本的に有機的なものなので、うさとの服と一緒に写ってみるとなかなか良い感じなのが嬉しい。
今回は今までとは違って、衣装様に作られたものではなく、三輪福さんも俺も一般に販売しているものの中から着るものをセレクトしてもらっての本番となった。
三輪福さんの衣装は、八角形に仕立て上げられたスカートをメインに、ワイドパンツ、そしてベスト。これって、そのまま衣装で使えるほどに、回転するスカートの放物線は、それぞれの角が意思を持っている様にも見えるほどに美しい。
俺の方は、この形は、あえて選ばないものだったが着てみてビックリだった。
中近東の民族衣装的な雰囲氣の、かなり長い貫頭衣なので、普段の自分の動きではない動きが服によって導かれるというのが、とても面白い体験だった。
楽器の場所だけ決めて、後は始まってからの流れに導かれるままに、即興福招きセッションは展開していく。三つの場所を設定したことで、おそらく神楽でいうところの四方固めならぬ三方固ができていたんだなあ、と今、「ハッ!!!」と氣がついて自分でビックリ。。。。
写真は、店長の奥村さんが撮ってくれたものを使わせていただいております。
俺の着ている黒檀染めの衣装の質感とエネルギーが、画像からも感じ取れ、布の持つ力というものが、確実に存在するのを再確認してしまった。
衣装というものは、ハレの服でもあるし、何らかのメッセージを持っている。
この写真を見ただけでも、うさとの服というのは、ハレの服なんだと思えてくる。
勿論、いつ着てもいいとは思うが、かなりのエネルギーを持っている衣という事なんだろうなあ。
場面は、刻々と展開していく。
それは、あたかも決められたかの様に、自然な流れで、お互いの呼吸感と会場の空氣に呼応して。
三輪福さんが使った、役目を終えた布や笹も意思を持っている様にも感じられるほどだった。
今回の節分の会が決まった時に、このふたつのチャイムを使うのを最初に閃いたのだったが、この閃きが大正解だった。場所にもしっくりきていたし、ラストシーンでは、このチャイムを三輪福さんが持って場を去って行ったという締めくくりとなったのだ。
今回の節分の会にて、Usaato Kyotoの関係者の皆さん、ご来場いただいた皆さんと、この場を共有できたことに、心より感謝いたします。