Dragontone /石坂亥士

神楽太鼓奏者・石坂亥士のブログ

祝祭となった特別奉納「産霊」@天日蔭比咩神社

11月8日は、能登國の二宮となる天日蔭比咩神社での奉納演奏の日だった。朝起きると曇り空で、空氣中の水分を感じられるほどに湿度が高いと思っていたら、大粒の雨が落ちてくるという・・・。

しかし、三輪福さんの家を出発する時には、雨も上がっていて氣持ちの良い始まりとなった。

[写真:西原直紀]

少し高台にある三輪福さんの家から幹線道路へ出て、「さあ、天日蔭比咩神社へ向かうぞ!」と車を走らせると、なんと虹が出現していたのだ!!!

さっきの雨は、虹を出現させるための天の演出だったのか!?と思うほどの幸先良い始まりとなった。

そして、またビックリで、なんとダブルで虹がかかっているではないか!!!

この日の奉納は、こんな感じに劇的に始まっていったのだ。

初めて訪れる場所だったが、とても氣の通りの良い清々しい神社だった。

まずは、宮司さんに案内していただいて、お参りをしに拝殿へ。その時、何やら長いものを入れたケースを持った二人組も一緒になった。

お参りを済ませて、場所を確認していると、おもむろにケースからディジュリドゥを出して神前で奉納の演奏が始まったのだった。

独特な畝る様な形状の丸みを帯びたディジュリドゥからは、静かな低音が溢れ拝殿に満ちていった。もしかしたら、俺が知らないだけで、今日一緒に奉納するのかな!?と思っていたら、どうやら、今日の奉納に参列される方だったようで、音と共にご挨拶に来たらしい。

宮司さんも、あまりにも当たり前にされていて、この神社の風通りの良さと大らかさを垣間見た瞬間でもあった。

小氣味良い広さの拝殿で、場所の静寂感や清々しい空氣感で、普段から風通し良く使われているのが感じ取れる。大銅鑼を拝殿に入れて演奏するのは今回が初めてだ。結果的に、神様の方に一番の音圧が伝わる配置となってしまったのも印象的だった。

今は亡き近藤等則さんから譲り受けたスンダのガムランで使われるレヨンと大銅鑼の取り合わせが、音の使い方としてなかなか良いバランスで演奏できる様になってきたのが収穫でもあった。

奉納は、神楽太鼓のソロから入り、その後に若林美智子さんの胡弓と若林徹州さんの笙で二曲ほど演奏する流れだけが決まっていた。

しかし、彼らのシーンになってすぐに、胡弓の弦が切れてしまったのだ。。。。

予定は未定だし、そこからは徹州さんの笙と俺のセッションが始まっていった。

笙とのセッションは初めてだったが、改めて笙という楽器の幽玄さと力強さと音の現れ方の不思議さに心に残ったなあ。

そして、弦を張り直して胡弓の音が奉納の場に帰ってきた時、それはまるで女性の妖艶な声の様にも聴こえて、逆に一旦音が無くなったことで胡弓の音の魅力と良い意味での魔力が更に抽出された様に感じられた瞬間だった。

しかし、三輪福さんは絶妙なシーンで現れるもんで、間を外しつつ素敵な間合いで登場してくる。

奉納の場に入る彼女は、普段の飄々とした優しさと柔らかさと独特な雰囲氣からは想像できない。

どこからか舞い降りた様に現れ、迷いなくスパッと空間を切っていく様に舞い蠢く。女性的というか中性的で、かなり男前でもあり、想像でしかないが、芸能の原点となった岩戸開きでの天鈿女命の舞とは、まさにこの奉納での三輪福さんの様だったのではないか!?とさえ思えたほどだった。

この日の奉納は、基本的に即興で行われたにも関わらず、神楽太鼓と胡弓と笙と舞が相当な濃度で融合したと思える奉納となったのだった。ラストシーンは、神楽太鼓の音とリズムと倍音が錯綜加速していく中、悠久の時を刻みながら楽しむ様に胡弓と笙が押しては引いて緩やかな流れを作り出していた。

神楽太鼓がカットアウトした瞬間、徹州さんの笙は合わせて音を納めてくれ、すかさず胡弓の美智子さんが、弦を「ギュヴィィィーーーーーンッ!」と擦り上げて奉納の空間を締めくくってくれたのだった。

また、いずれこのメンバーで場を共にする日が来る予感がしているのは俺だけだろうか。

後で聞けば、ちゃっかり奉納組の写真に写っている娘が、三輪福さんを拝殿へ手招きして呼び入れたんだとか。。。

適材適所ということで、無事に特別奉納を終えることができたということなんだと思う。

天日蔭比咩神社の宮司さんをはじめ、御参列下さった皆さん、遠方より心合わせしてくれた皆さん、スタッフ関係者の皆さんに心より感謝いたします。

冒頭の神楽太鼓の後からのシーンを音源としてアップしてあります。当日の臨場感を楽しんでいただけたらと思います。30分弱あるので、お時間ある時にどうぞ!!!

soundcloud.com

この日は、皆既月食。珍しいことに月食中に月が冥王星を隠すという冥王星食も起こるという、今生ではもうお目にかかれないという類稀なる日というのも記憶に刻まれたのだった。

 

しかし、密度の濃い時間を過ごし過ぎて、記事にアップするのに熟成期間が必要になってしまうという現実と向き合っている今日この頃。

ブログというのは、デジタルな日記なのだが、俺の場合は告知作業も少しは兼ねているので、書かねば!と思いつつも熱海から能登の流れの濃さと、パソコン作業という別の次元の作業のギャップというのは本質から離れ得ていくんだなあ、というのも実感させられている。

とは言っても、記録として書き記しておきたい内容でもあるので、納得いく形で記事にできていることは間違いないのだ。

 

実は、熱海から能登の流れはこれで終わらず、この後は日光での香川大介くんとのセッションへ飛んで、最終的には18日のソロライブに集約していくのである。