Dragontone /石坂亥士

神楽太鼓奏者・石坂亥士のブログ

熱海から奥能登珠洲へ

11月5日は、熱海の断食道場に居た。

友人の幾三くんから、ここでの演奏を頼まれたのだ。熱海というと、先日の土石流のあった場所で、幾三くんの道場は実際の被害はなかったものの、避難地域となって数日間この場所に帰れなかったということだった。

この場所は、幾三くんの師匠がこの場所に一目惚れして、この地に断食道場を作ったということで、なんでも仏陀が修行した場所に似ているんだとか。

道場への道すがら、伊豆山神社というのが氣になっていたら、幾三くんが、「演奏の前に伊豆山神社へ挨拶に行来ましょう!」ということで、氣になる場所へ挨拶もでき、上手いことできてるもんだなあと思ってしまった。

この畳敷きの広間の下には確か4トンの炭が埋められていて、異常に氣持ちが良くて、音の響きもとても心地良かった。

眼下に広がる海に向けて大銅鑼を響かせる。

場所の響きにも鼓舞されて、かなりの倍音が錯綜していく。熱海という場所はエネルギーが強い場所らしく、そのエネルギーもいただいたような感じさえした。

幾三くんが作った素敵な食事で直会が行われ、ラストにはリエちゃんのデザートで締めくくられ、今回のある意味神事が無事に終わったのだった。

地形的に伊豆山神社が龍の頭で、熱海での土石流はその龍が口から火を噴いたとも言われているらしく。。。。

日本列島自体が龍に見立てられることもあり、そんな列島が大きく揺れ動いている昨今、熱海というかなりのエネルギーが凝縮している龍の頭とされる場所で音を響かせるという機会が、この日時で決まったのも、必然だったと思えるのである。

 

その後は、夜を徹して一路奥能登へ!!!

翌日の昼過ぎから、奥能登珠洲で行われる火熾し神事に参加しなければならなかったのだ。

富山に入った辺りでは、何故かこんな写真も撮れていて、この雰囲氣の様に、まさに異次元空間へワープしているかの如き感覚に支配されていた。

今回の一番大きな仕事は、太平洋を臨む熱海から、まさに本州を横断するかたちとなる奥能登珠洲までの道中を無事に移動することだった。途中で仮眠をとりつつ、家族で移動していたので、奥さんに運転を代わってもらって、ひたすら能登の最深部となるノトハハソ製炭工場を目指したのだったが、日本海が見えて、少しホッとしたのを思い出す。

焦っているわけではないが、確実に着けるかどうかは誰にも分からないわけだ。この感覚は、即興演奏にも通ずるかもしれない。

まあ、車を信頼して無理せずに淡々粛々と距離を走る。

富山に入ってからがまた長かったが、おかげさまで、11時半位には現地に到着することができた。

奉納関係では、俺が一番先に到着して、その後東京から西原直紀くんが、その後三輪福さんという感じに次々とメンバーが集結して、いよいよ御神事が始まっていく空氣が漂い始めたのだった。

火の儀式という事は、その対局にある水の儀式でもある。そんな事もあり、なんとなく頂いてきた熱海の断食道場に引かれてきている富士山の伏流水を、龍が彫られたシンギングボウルに入れて、窯の神様へ供えることにした。

[ 以降の写真:西原直紀 ]

ノトハハソ製炭工場の大野さんが、火熾し神事の中でどうしても神楽の奉納を入れたかったという強い願いから、今回の神楽奉納が実現した。

当初は、ライターで着火していたそうだが、それに違和感を感じた大野さんは、宮司さんに相談して、火熾し神事で、火打ち石で麻玉へ火を移して火を熾した火を炭に移して繋いで使っているそうなのだ。今回は、その火に中能登地方で300年以上も灯され続けた「火様」を迎えて火熾しの儀式で熾した火とその「火様」を合わせるとう歴史的な御神事ということなのだ。

宮司さんが言われていたが、祝詞の中では、どんなに社会的に地位のある方でも「様」は付けないそうで、「様」がつくのは神様だけなのだという。しかし、今回は祝詞の中で「火様」と初めて神様以外で様を付けたというお話をしてくれた。

300年以上も灯し続けられたことで、火が「火様」になったということだ。

そんな大切な合わせ火の儀式が終わり、玉串奉奠が済んだ後に、進行の方の「神楽!」という一言が御神事の空間に静かに響き、神楽が始まっていった。

切り火の清い火と「火様」の合わせ火が窯の中で燃えて、その煙が天然のスモークとでも言わんばかりに漂い始め、会場は異次元の様相を呈してきた。

冒頭は、やはり窯の神様へ対しての音を奏でることになった。インドネシアの卍の鉄が擦れ合う微音が鈍く響き、その流れで大銅鑼となった。音は、かなり激しくなり一陣の嵐が通過した感じとなったその瞬間、三輪福さんが煙の中から現れ、一瞬、俺には雲に乗っている様にも見えて、自分が今どこに居るのかと思えるほど幻想的なシーンに遭遇してしまった。

その後、三輪福さんは火の精霊なのかはたまた化身なのか、その迷いの無い場所への向き合い方は、まさに神楽であったと言えるだろう。時間も空間も超えた音と身体に宿る記憶が、炭焼き窯の上に出現した瞬間でもあった。

火熾し神事を無事に終えることができた事に感謝しつつ、一安心して記念に一枚!

大陸や半島の先端付近には、文化や芸能、人も含め様々なものが凝縮している。能登半島もまさにそれで、火熾し神事は、かなりの濃度と密度だったのでありました。