今回の旅の最終目的地である奥能登。ここで新たな神楽の火種が確実に灯された。
昨年の11月に、三輪福さんと共に参加させていただいた、ノトハハソ製炭工場火入れ式の御神事は、その厳かな空氣感と奇跡的な空間での出来事と相まって記憶の中に強く残っている。
代表の大野さんは、火入れ式での神楽(舞)の奉納を強く望んで、三輪福さんに相談していた経緯があり、その流れから俺も音で参加することになったのだった。
今年は、大野さんの娘さんが舞手としてその場に立つことに!!!
三輪福さんが、火の神であるカグツチをイメージした舞を抽出して、娘さんにその振りを伝えたと言う、かなり興味深くも意味ある神楽の始まりに、音で参加することが決まり、御神事の前日11月10日に、奥能登の大野製炭場の窯を前にしていたのである。
見守る三輪福さんと娘さんの空気感が、清々しく感じられ、「これは良いものになる!!」と確信したのだった。
火と水は表裏一体でもあり、お互いに引き立て合う存在でもあり、陰陽の原理も発動する。
大野製炭工場にあった火鉢の火。
三輪福さんのお宅の庭にあっ桶の水は、急遽当日決まった、三輪福さんが舞った水の舞を予測していたかの様でもあった。
秋深まる11月11日。
場が整えられていくのは、本当に氣持ちが良い。
火打石で着火する時に用いる、麻玉を関係者で作っている様子。麻紐を細かい繊維にしていく地道な作業をみんなでする光景が、また素敵だった。
出番を待つ神楽太鼓や鳴り物たちも、かなり良い雰囲氣だ。
300年間受け継がれてきた火様と新たに着火した火がそれぞれの蝋燭に灯され、ふたつの炎に見守られて、三輪福さんの水の舞は、ゆったりと始まり、水の特性の如くどんどん変化を繰り返していく。
娘さんの火の舞は、初めてと思えない風格もあり、三輪福さんから伝えられた振りを完全に自分のものにして、その場に立っていたのがとにかく素晴らしかった。
やって来る時と去る時に、大野さんの息子さんに
石笛を吹いてもらったが、彼の淡々とした存在感がまた素敵だった。
音も然りだが、本物の神楽の舞は、周囲の空氣まで巻き込んで変化させていく。ある意味その空間も次元を超えていくと言うことでもある。
彼女の舞は、最初にしてその境地を垣間見せてくれたことに驚嘆せざるを得ない。才能というのか役割というのか、今回のこの場に立ち会えたことに感謝したい。
神楽に関わる人間として、この神楽の始まりに関わることができたことは、本当に嬉しいことであり、これだけのものを見せられたら、来年も奥能登に来る!という選択肢しかないわけである。
集合写真とコラージュの写真は、撮影に来てくれていた西原直紀くん撮影。彼もまた、この新たな神楽の応援者でもあり足を踏み入れてしまった一人でもあるのである。
そして翌日は、三輪福さんの拠点での奉納だった。
徐々にリノベーションして場を整えてきているということで、その神棚のお部屋をメインに使っての奉納演奏だった。
しかし、古民家の広さには驚かされる。収穫された真菰に囲まれて、振動でこの真菰がざわついているのも面白かった。
神棚の左と右に、それぞれ神楽太鼓と銅鼓をメインにした古代鳴物セット!
かなりしっくりきているのも、嬉しい!!!
この地方のヒバ材を使った床は、匂いも質感もとても氣持ち良くて、音も快適に響き渡ってく。そんな中に絶妙なタイミングで三輪福さんが登場して、そして去っていく。
その場で生まれた音と舞は、炭火のエネルギーが神楽へと昇華してくれたように感じた。
家の中心に火があることの大切さを、体験させてもらえた奉納となり、嬉しい限りでありました。
午前中の奉納だったので、その後お祝いのお酒を買いに行ったら、お店の方から「先ほどは、素敵な演奏をありがとうございました!」と。。。
なんと、奉納を見にきてくれた方が、たまたまそこの酒造の方だったという偶然!!!
そして直紀は、巨木を撮影に行った神社で、ノトハハソ製炭工場の火入れ式での御神事を司っていた宮司さんとバッタリ再会するという、まさに神楽の余韻冷めやらぬ状況に関係者一同びっくりし通しだったのも面白い現象だったなあ。
直会も超絶素敵で、地元の魚のお造りの存在感が半端じゃなかったこともあり、谷泉という地酒がかなりすすんでしまったのでした。
この度の一連の流れは、今後非常に大切になってくると思える、奥能登奉納行脚でありました。
ボラ待ち櫓なる、櫓の上に座ってボラが来るのをひたすら見張って網をたぐるという原始的な漁法の装置の不思議な造形美を最後に堪能して、能登を後にしたのだった。