Dragontone /石坂亥士

神楽太鼓奏者・石坂亥士のブログ

諸刃の剣

先日は、北軽井沢方面の浅間大滝へ入ってからの、一路六本木へ向かうというある意味激流の様な行程だった。

こんな水の流れが、高層ビルの佇まいに置き換えられたのだったが、良くも悪くも共にエネルギーは強いのだろう。

先日のイランの音楽家を迎えてのコンサートの慰労会と、9月に行くことになっている、土取さんが音楽監督を務めるイランへのツアーの打ち合わせも兼ねての会合だった。

その時に、聞いた郡上踊りの名人のことがかなり強烈な印象に残っている。

地元では、誰もが知る名人として郡上おどりの保存会入って活躍されていた方が、その保存会を辞めることになってしまったんだとか・・・・・。

自分の所の神楽の保存会で置き換えると、まずあり得ない状況だと驚愕してしまった。

俺の所属する神楽師も保存会の形をとっているが、そんな中でも神楽のお囃子や舞に特出した名人というのが存在する。そんな師匠が亡くなった葬儀では、出棺の時に神楽師が総出で神楽囃子で送り出すという状況になる。

そんな師匠級の方が、会を辞めざるをえないという状況になるというのは、伝統芸能的にかなり解せないのだ。まあ、他の地域の事でもあるが、実は、その方と「橋の下音楽祭」というイベントでニアミスがあったのでお名前は見かけており、かなりリアルな感覚があるので、自分の覚書として記しておきたい。

俺たちの神楽師連中とは比べてはいけないレベルの、超有名な郡上おどりの保存会の話だが、同じ伝統芸能のくくりで言えば、規模の大小は関係なく、やってはいけない禁じ手はあるはずで、尊重すべき部分はしなければならないはずで。。。。

まあ、伝統芸能というのはかなり面倒なものでもあるが、その魅力もかなりある存在あんことは確かでもあるのだ。

アーティストとして伝統芸能に携わることは、諸刃の剣でもあるが、俺はあえて地元の神楽の世界観を自分の音の中に置いておきたいと思っている。かといって、ここの神楽をそのまま自分の表現に使うことは絶対にない。それはやってはいけない禁じ手だと思うのだ。

伝統芸能というものに身を置いて、その表現を極めていくことは素晴らしいことだと思う。

しかし、実力がついてきた時にこそ間違ってはいけないこともあると思うのだ。自分だけの力でその芸を身に付けたわけではなく、その伝統芸能の型の中に入ることで、得られる可能性と実力がある。それを自分の表現のためだけに使うことはあってはいけないのだと感じるのだ。

伝統芸能は、長い年月をかけてその土地の多くの先人達が形を極めて守りつつも、天才的な存在も現れたりしてその形態を多少変化させつつ今の形になっているわけだ。

長い年月をかけて抽出された、舞や音は、ある意味黄金比にかなう絶妙なバランスで成り立っているとも思える。

俺自身も、神楽師としては師匠の次の位置になってしまったので、対岸の火事と思わずに足元をしっかり見て進んでいかねば!!!と心に誓った出来事でありました。