えびす講の桐生西宮神社は、群馬の延喜式内社の一つに数えられる美和神社の境内社だ。
その神楽殿での奉納演奏が「ゑびす太鼓」なのである。
2001年から始まったこの奉納演奏は、神楽太鼓の即興演奏が伝統行事になった稀な例になるかもしれない。
単発での奉納演奏は多々あれど、20年を超えるものはあまり無いのでは無いだろうか。
最近は、毎年この神楽殿に上がれることが本当にありがたいことだと思える。
今回特に感じたのは、ガツガツ感の無さだった。
見た目にも、なんの派手さもなく淡々と奉納演奏が執り行われていくのだが、その感じがかなりしっくりきていた!!!
という感覚を覚えたのだ。
まあ、福まきの品を欲しい方々が多いのは、いつも通りではあったのだが、月曜ということもあり、人出がちょうど良かったのかもしれず、福まきにしてもいつも感じる鬼気迫るものはなく、和やかな雰囲氣が漂っていたのが嬉しかった。
神楽殿というものが、異空間へと誘う装置であり、それに伴って神楽殿に上がった人物を育ててくれる装置なのではないかと思えてならないのである。
ゑびす太鼓のスタイルは、その都度変化しつつ紆余曲折を経て、今の形に落ち着いてきた経緯がある。
今回は、特に風のエネルギーが凄まじかった!!!
最初の演奏が始まると、いきなり物凄い風が吹いてきて、「始まるぞー!!!」と言わんばかりの雰囲氣というか、神楽殿を取り巻く環境が神々しい空間へ一氣に変化していったのは、かなり印象的だった。
福まきを早い段階で初めてもらって、俺が神楽殿に入って場を作って、その後福まきのメンバーが登場して、福まきをする。その後、本格的に神楽太鼓の奉納演奏が始まっていく!という三段階の変化が功を奏したと思えた。
まるで俺が拝まれている様に見える一枚だが、これは神前に挨拶をして、福まきのメンバーが退場していく前のシーンだ。
彼らが去った後、何の氣兼ねなく奉納演奏を展開していくのである。
予想外に、多くの方々が最後まで残って、二礼二拍一礼を俺と一緒にして奉納演奏の時間を共有してくれたのもとても嬉しいことだった。
10年一昔とはよく言うが、二昔となる、「ゑびす太鼓」。次回から、新たなステージが始まって行きそうな予感である。
来年も11月20日は、この神楽殿で神楽太鼓の奉納演奏をしているはずである。