通常の俺の活動は、音の世界を追求することだ。視覚的なイメージも自分の中にあることは間違いないが、それをあえて視覚的に表現することはしていない。
西原直紀くんの巨木の写真を投影して行うのは、今回で三度目となるわけだ。
何がいいかというと、お互いがそれぞれの切り口で、普遍的でもあり根源的でもある存在へアクセスしていることだと思うのである。
俺は、神楽という日本文化の根底に流れ続ける芸能のエキスへ音でアクセスしていく。
直紀くんは、巨木と言う太古からその土地で生き続ける、奇跡の生命体の存在感を彼の視点で一枚の写真に記録したものを一瞬の煌めきとして、空間へ投影してくれるのだ。
Shinの古木人形の存在は、制限のある中でどれだけ人形の動きが無限大へと想像させることができるか!?というテーマでもあり、ある意味芸能と言うものの在り方を凝縮して視覚化してくれている。
この三人の中に、急遽、武術家・深井信悟さんが加わることになり、安定したトライアングルに、不確定の要素が追加され、神楽的には願ったり叶ったりの、かなり興味深い展開となったのでありました。
前回見に来てくれた、直紀くんの幼なじみからのアドバイスで、内容面は、かなり効果的に練り直したことで、新たな魅力も追加された舞台になったと言えるだろう。素敵なアドレスに、心より感謝であります。
[写真:須藤 亜弥子]
深井さんは、何をするわけでもなく、舞台に坐す存在だった。個人的には、俺のやっている地元の神楽での、猿田彦命の舞での道先案内役としての「鉾廻し」という高貴な役割があり、その存在に重なる部分が大きかった。
スッとして最初に舞台に立って、大仕事をする猿田彦命をさりげなく補佐していく。
深井さんには、今回、俺が冒頭シーンで振る4メートルほどの青竹を舞台に置いていただく役をしてもらった。それ以降は、坐すのみという謎の人物。非常にありがたい存在でもあった。
この青竹が空を切って、音で場を祓っていく。その後、古い鍬で鉄の音を鳴らし、陶器の大きな土鈴を振り鳴らして、蠢く混沌の音を響かせ、ここから始まって行ったのだった。
神楽としては、舞手に向けられる音が、映し出される巨木へと向けられていく。
巨木も、舞っている様に見えてくる。
自然の造形美の素晴らしさの前では、作為的な音では到底太刀打ちできない。
シンプルに音を響かせるに限るのである。
このシーンをどう切り取るかは、カメラマンのセンスしかないので、切り取ってもらって見返すと、かなり素敵だったんだなあと振り返ることができてありがたい。
神楽太鼓は、ステージを向いて演奏するスタイルだった。写真を見つつ演奏したかったので、今回それが叶ったので嬉しい限りだった。
みんなで同じ方向を見ているのは、かなり不思議だが、無声映画の音楽をやった時を思い出して、臨場感もあり、かなり楽しい時間となったのも事実だ。
写真が体感させてくれる世界が、音の浸透力を上げていく感覚があったのも、新たな手応えの一つだった。
神楽の世界観は、反復するリズムとグルーヴが、細胞の記憶へアクセスして、視覚的にも巨木の持つ世界観で更に深い部分へ浸透していく。現在進行形の神楽の在り方が、煌めきとなって立ち現れる瞬間もあり、本当に意味のある時間となったのでありました。
氣兼ねなくこの作品に没頭することができたのも、支えてくれるスタッフ陣の鉄壁のサポートがあったおかげでもあり、チームとしても、良い手応えを感じた現場となって、年内ラストの公演を良い形で締め括ることができたと思っております。
ご来場いただいた皆さん、配信でご一緒してくれた皆さんをはじめ、関係者スタッフのみんなに心より感謝いたします。