縄文巡礼は、磨製石器で儀式的に木を倒すことから始まっていった。ご本人の黒田さんが作ったといういわゆる石斧でその行為が行われていく。何人かが交代しながら、幹はだんだんと打撃によって削られていく。
そして、倒れる。
公演当日の依代となるべく皆の手で運ばれていく一本のくるみの木。
縄文土器が炎の中から生まれる瞬間は、とにかく美しかった。
それぞれの縄文感覚を表しつつ、会場も出演者もだんだんと整っていくようだった。
今回の写真の撮影者の片山さんも縄文遺跡の写真を展示している。どれも興味深い。片山さんの場所と時間を切り取る感覚がとても好きなので、この階段の踊り場は、不思議に心地良い空間だった。
後ろの襖に描かれた絵は境くんによる作品。彼とは、随分前にお山参詣で朔山に一緒に登った仲だ。しばらくぶりの再会で、ガッツリ髭を生やしていて別人かと思ってしまうほどだったが、素晴らしい作品を生み出すようになっていて、とても嬉しかった。
とにかく会場が素敵で、古い体育館をそのまま使えるという素晴らしさ!!!
終演後に、知人が教えてくれたのだが、冬になると、ザラメ状になっている硬い雪をこの床面にまいて、みんなで足踏みするんだという。
その効果で、黒く汚れた床が綺麗に磨かれて、ツルツルになるとのこと。
手で触ってみると、節の部分が硬いので、少しボコっとなっている。そして、よく滑る床だった。
冒頭の雪さんの舞踏は、素晴らしかった!
ひとまず写真で紹介しておきたい。
こたつ獅子という新たなるスタイルは、集団憑依のような、神楽の信託のような、異空間を出現させていた。
実は、自分にとって津軽は聖域であり、あえて自分が演奏するまでもないと思っている場所だ。
それは、登山囃子や津軽三味線をはじめ、多くの達人名人が存在し、自分の音の原点にもなっている場所でもあるからだ。
今回、そんな津軽の昔からの音を今に響かせてくれる稀な存在の津軽三味線奏者・長峰健一さんとの手合わせが実現できて、自分の中で、大きな学びともなり、津軽の音の奥深さも体感できたのは、とても大きな収穫だった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
雪さんの肉体が、津軽三味線と呼応して動くのが妙に腑に落ちた。
長峰さんの津軽三味線の音色は、今まで耳にした事の無いものだった。
やはり本物は、多くを語らず、一音で納得させてくれるんだということだ。
縄文巡礼という世界観は、今の世に必要な大切なものを感じる時間を共有してくれたのかもしれない。
ご来場いただいた津軽の皆さんをはじめ、裏方でサポートしてくれた山田スイッチさん、原始感覚美術祭の関係者の皆さんに心より感謝いたします。