6月25日に、桐生市有鄰館酒蔵で行った「夏越ノ大祓2022 〜共鳴瀑〜 」の記事をようやく投稿できたのが、本日6月30日の夏越の大祓当日になってしまったのも必然なのかもしれない。
有鄰館の酒蔵は、ホームとして使っている場所なので、ここで開催する公演は、他の場所でのものとは別次元の公演という位置付けなのだ。
通常のイベントスペースとは違って、場所を貸してくれるのみなので、会場を整えていくのは、全て自分たちで行う。
楠の巨木がいつも迎えてくれるのも嬉しい!!!
みんなで掃き掃除から始めるが、今回は、5人で掃き掃除することになり、かなりの掃き清めの効果が発動した夏越ノ大祓となった。
深井さんが、開場時からその場に坐すということで、開演までは控室でひとりだった。
その時、不意に近藤さんとこの場所で過ごした時の記憶が蘇ってきた。
本番前に「じゃあ、控室に行くか!」ということで、少々ピリッとした感覚を持って控室に入ると。。。
「まあ、やっとこうや!!!」と鞄から黒霧島を出して、コップに注いで、景気づけに乾杯というか、契りの盃的な雰囲氣もあった様な不思議な時間を過ごすことにになった。その後、禁煙の部屋だが、「灰皿ないか!?」
と、タバコに火を着けて、窓の外に煙を出しつつ、タバコを吸っていた近藤さんが思い出された。
あの時は、コロナ騒動が始まったばかりの時で、イベントは何も開催されない状況だった。
有鄰館で、イベントが何も開催されないとうので、あえて近藤さんをお呼びしたのだった。
今も、基本的には何も変わっていない。世の情報操作によって、かなりの錯覚の中に生かされている現状のようにも思える。
そして、このコロナ騒動の中において、特にアーティストは、ふるいにかけられた感覚が強くある。
近藤さんとのセッションで体感した、本物のマスターとの時間、そして、その時にやり切る大切さ。
深井さんとの「夏越ノ大祓」は、4月の香川県での土取さんとの奉納セッションや近藤さんとのセッションと並ぶ、自分のセッション史上忘れることのできないものとなった。
無音の居合いから始まるこの本番冒頭シーンを、俺は見ていない。父が撮った一枚が雰囲氣あるので紹介しておこう。
以下のコラージュからは、石原ミチさん撮影の写真。
開演前の時のものだが、かなりの臨場感。。。。
今年の夏越ノ大祓は、日本刀があったらいいなあ!と、漠然と思っていたら、深井さんが居合いをしてくれたので、夢が現実となったのは、とても嬉しい!!!
刀の祓いから始まった会場は、かなり緊迫した空氣が流れた印象だった。
パフォーマンスではなく、お互い本氣の武と音の世界は、本物の即興の感覚が満ちていく。
シンギングボウルに水を入れて、持って動く時、深井さんは抜刀していた・・・。
必要な間合いを取りつつ会場を練り歩く。
南信州の山岳系の霜月神楽では、本物の刀を使って舞う。その錆ている刀は刀身のみで持つ場所にサラシが巻かれていた。そんな古の刀でもかなりの祓いの効果を感じたのだったが。。。
深井さんの刀の動きは、神楽のそれとはまた違って、ゆったりと空間を切っていく。その感覚は物凄くて、見えるものから見えないものまで確実に切れている感じがした。
日本刀の奥深さとその道の達人の妙技を垣間見た瞬間でもあった。
深井さんの本当にゆったりした動きと練っていく音像、また照明の効果も相まって、異次元な感覚が加速して行く。
お互い合わせないことが、結果的に空間全てを調和に導いていく感覚。
今回使った神楽太鼓は、2尺4寸の白馬の皮のもので、かなりの音圧と豊かな倍音がそこから生み出される。
以前、この太鼓をガッツリ叩いた時、身体への負荷がかなりのものだった。その時以来、短い時間に限って演奏してきた経緯がある。
しかし、何故かこの神楽太鼓を使うことにしてしまったのだ。
自分の力量が上がったのか太鼓の状態が変わったのかは定かではないが、この白馬の神楽太鼓の響きは、以前よりも繊細な奏法にも向いてきて、響きもより深くなってきていることに驚かされたのだった。
そして、この太鼓の破壊力と音圧はソロ演奏のみかと思っていたが、一緒にその場に立てる人が現れたのは、本当に嬉しい限りだ。
深井さんとの世界は、かなり面白い!!!
何度も俺のセッションを見に来ているくれている方が、今までで一番良かったと言ってくれたらしい。
深井さんの、この掌から俺の音が放出されている様にも感じられる。
今後、深井さんとの世界がより広がりを見せてくれる予感である。
ご来場いただいた皆さんをはじめ、配信でご一緒いただいた皆さん、スタッフ関係者の皆さんに心より、感謝いたします。
どうもありがとうございました!!!
深井さん曰く「来年もやりましょう!!!」
とのことなので、来年の「夏越ノ大祓2023」も是非楽しみにしていただきたい。