25日に行われた、求道会館でのソロライブは、多くの方々にご来場いただき、記憶に残るものとなり、幕を降ろすことができた。
ご来場いただいた、みなさんをはじめ会場となった求道会館の関係者の方々、スタッフのみんなに心より感謝いたします。
当初は、1時間10分程度の時間で行うつもりでいたのだったが、うさと座でもお世話になっている、さとううさぶろうさんが、今回のために衣装を作ってくれ、なんと二着思いついたとのことで、衣装を変えることになったのだ。
ということで、二部制にして、前半を静の世界、後半を動の世界として構成した。
冒頭部分は、いつも使っているバリ島の僧侶の方が使う鐘、グンタとバロンという獅子の体に付ける鈴で登場。バリの世界観から始まることになった。
手紬のヘンプで作られたという、あり得ない存在感のコートの衣装は、重たいが背後の空気も動かす様な感じがした。
しかし、楽器を操るのは、少々難ありだったので、舞台で急遽脱ぐ事にしたのだった。
自分にはあまり似合わないクリスタルボウル・・・・。しかしこの巨大な個体から発せられる重低音の畝る振動が、修験の儀式の時に起こるという釜なりというものの音を彷彿させる凄いヤツなのである。
栃木県の庚申山猿田彦神社の春の例大祭の時に建物の方からもの凄い重低音が聴こえてきて、どこで何が鳴っているのか分からない不思議な時空が歪む様な尋常でない音の体験だったのだ。
このクリスタルボウルの音は、そんな音の記憶を蘇らせてくれるのである。
建物の構造上、やけに宗教系な絵となっているが、まあ、この場所だしこれはこれでありかと思いつつも、しかし、写真で見ると本当にはまり過ぎではあるなぁ・・・・。
静と動とは言いつつも、やけに鳴りが良い大銅鑼!!!相当な倍音と低音が炸裂していて、個人的にも演奏をやめたくないほどの音が畝っていた。
二部の導入は、デルガードさんからいただいた土笛からにした。
この土笛の音が、求道会館の天然の残響にピッタリで、笛は専門ではない俺の音が、そこそこ雰囲気のある音になるがありがたい。
以前、メキシコのダンサーからいただいた、コロンビアの山岳民族が神様との交信に使用する土笛の音に似ているのが、個人的にはとても興味深い。
神楽太鼓は、皮の湿度の管理が結構気を使うのだが、二部にしたことで、暖房の影響を受けないで、ベストな状態で始める事ができ、はじめは水気がまだあるので、少し低めの音色から始まり、時間が進むにつれてベストな音色へ育っていった。
両脇が煉瓦とのことらしく、その影響で小気味良い返りがあって、とても音をコントロールしやすい。低音と高音のバランスもなかなか絶妙に良い響きを醸し出していた。
天からのギフトとは、まさにこういう事を言うんだろう!!!としか言えないほどの嬉しいサプライズが!!!!!
エドゥアルド・デルガードさんが、来てくれていて、なんとアンコールで即興のセッションをしてくれたのだ!!!
帰国の飛行機のチケットを一日間違えてとってしまったので、俺のライブに来れることになったとのこと。
セッションは、勿論、最高に楽しく、緊張感のある繊細で大胆な音のやり取りが続く。
至福のひと時とは、この事を言うに違いない!と思える瞬間でありました。
演奏している時の顔が、似ているのも、音の響きの合う一つの要因なのかもしれいない。
こんな阿弥陀如来さんに見守られながらの、至福のセッションの時間。
あまりにも楽しすぎて、神楽太鼓もやっちゃえ!!!とやってみたら、デルガードさん、さすがで、最高に楽しかったのだった。
うさぶろうさんが、通訳をしてくれて、デルガードさんが、俺との音の事を話してくれた。昨年、共演はした事がないのに、いきなり即興で一緒にやってみようという申し出をしてくれて、やってみたらもの凄かったわけだが、彼が俺の音に感じた事は、自分でも大切にしていることだっただけに、言葉が通じなくても、音楽を介して、お互いにもの凄い信頼関係を感じているのもうなずける。
本当に気分良くセッションしてくれたようで、最後に彼から会場の俺も含めた皆さんへ、ソロでピアノを弾いてくれた。
その繊細なタッチと彼の音楽性は、ジャンルは違えど、音楽家が一番大切にしなければならないことだと思うのだった。
音楽は、本当に素晴らしいなあ、と思える瞬間だった。
この場に居合わせた、全ての皆さんに心より感謝申し上げます。
写真:西原直紀・須藤亜弥子