Dragontone /石坂亥士

神楽太鼓奏者・石坂亥士のブログ

楠の巨木が聴いていてくれる場所

有鄰館の酒蔵が好きな理由の半分は、この巨木の存在かもしれない。今でこそ、ホームとして頻繁に使わせてもらっているが、最初に音を鳴らしたのは、ゲリラ的なものだった。

若かりし20代前半の頃、地元の書家の個展でのパフォーマンスに誘われて、参加することになったのが発端だった。表現者としては、実力も経験もない駆け出しの若者というか馬鹿者の類だったろうが、とにかく火の玉の様な氣合いと勢いだけは、誰にも負けないという自負があった。基本的に、その精神は今も変わることなく流れ続けている。

出演を引き受ける時に、「自分はこのパフォーマンスに合わないと思いますが、それでも大丈夫ですか!?」と念を押してみたが、「大丈夫!!!」との答えをもらって参加したのを思い出す。

何度か練習を重ねていくうちに、書家の方の意図するパフォーマンスを、面白く感じることができなくて、書家の方の意に反して自由にやり始めてしまった自分がいた。

あまりにも思い通りに動かないので、「もう来なくていいから!!!」と言い渡されてしまったのだった・・・・。

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普通はそこで「それじゃあ、仕方ありません!」と参加しない道を選ぶだろう。

が、しかし当時の俺は、火の玉の様に燃えているので、「出演を引き受けたからには、その当日に向けて心身共に準備を始めているので、止めることはできません!!!」

「当日は、会場に来て太鼓叩きますから!!!」

と言い放っていたのだった。

そんな経緯から、当日は、パフォーマンスが始まる15分ほど前からだったろうか、この楠の巨木の下に大き目の和太鼓を据え置いて、パフォーマンスが終わるまで和太鼓を叩き続けたのだった。勿論、パフォーマンスをしている彼らと共演しているつもりでやっているので、壊すつもりは全くなかったが、パフォーマンスが終わるや否や、彼らが殴りかかって来たのだった。

あわや乱闘になるかと思いきや、応援に来てくれた踊り手の香春さんや知り合いに、あっという間に取り押さえられてしまった。

今となっては、有鄰館でゲリラ演奏はできないので、懐かしい思い出でもある。

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楠の巨木は、今は、誰も知らないそんな音ややり取りも聴いてくれているのだ。

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ただ、そこにデーンッと立っている樹木の存在感の素晴らしいことと言ったらない。

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酒蔵で演奏する時、蔵の中の音は確実に、この巨木にも届いているはず。
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後、どれだけこの巨木に響きを届けることができるのかも、個人的な楽しみでもある。

木の時間軸にしたら、ほんの少しの間だと思うが、ある一定の年輪に音が記憶されているんだろうなぁ。と妄想を膨らませている今日この頃なのである。
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次の新月の夜には、金属系の重低音と神楽太鼓の錯綜するリズムとグルーブが鳴り響くことになるだろう。