天空ノ祭禮2021の一連の流れを、ここに記しておきたいと思う。
[写真:石原ミチ]
25日に挨拶した弁財天さんは、正式には、小沼神社 天龍弁財天と言うらしく、天龍の名前が冠されているのが、場所的にとても腑に落ちる。
夕刻からの奉納は、霧雨混じりで、ギリギリ演奏できる状況だった。農作業用の麦わら帽子に長靴姿で神楽太鼓を担いぐのも、不思議とこの場所に合っている様な氣さえしてしまう天候。
バリのちえちゃんからいただいたお香を立てて、以前、Tさんからいただいた祈りの場で灯されたという蝋燭を使わせていただいた。
和蝋燭ではないので消えてしまうかもしれないと思ったが、大銅鑼の演奏の時は、一本のみ残って最後まで揺めいていてくれた。
夕闇が舞い降りてくる時間帯は、神楽太鼓の演奏となった。小雨がパラパラ降っている状況の中なので、物理的には勿論雨粒は当たっているわけだが、自分のまわりだけバリアーがあるように思えるほど、全く寒さを感じることなく演奏できたのが、とても不思議だった。
勿論幻想的ではあると思うのだが、どちらかというと異次元というか異界での演奏という感じが近いのかもしれない。
神楽太鼓の最後の打音が湖面に消えていく・・・
その後、静寂という音が湖面に染み渡っていったのだった。
撤収時もスタッフ陣は、黙々と自分のやれることをしていく。その場には、言葉での意思疎通ではなく、日頃の信頼関係で動いていく熟練職人的な感じが近く、現場の静寂感は相当なものだったと思える。
25日の奉納演奏は、とにかく静寂感というキーワードの元に展開された様に思う。
そんなシーンをミチさんが切り取ってくれている。
26日の10時の段階での小沼は、小雨というよりは本降りに近い状態で、湖面は目の前の木しか見えないという状況だった。(この写真のみ自分で撮影)
さてさて、どうしたもんかねぇ・・・・、と近くの食堂で待機。
11時に、最終判断として開催か中止の告知をしなければならない中、みんな、これは中止もありかもしれないなあという雲行きに。。。
そんな時、後ろの方から、「今日は、13時頃から雨上がるんだよね!」と声が聞こえてきたのだ。
半信半疑で小沼へ行くと、なんとなんと雨が上がって、小沼の湖面も見渡せるではないか!!!
これはラッキーとばかりに、着々と準備を進めていく。
あっという間に13時となり、神楽太鼓の設置は高峯くんに任せて、急いで衣装もろもろ支度を整えるのに忙しかったほどだった。
この音を小沼に響かせたい!!!と思ってタヒチのスリットドラムを持って登場した。予想した通りに、乾いたタイトな打音が湖面に響き渡っていく。予想外だったのは、背後の木立に複雑に反射して動物の鳴き声の様に響いたことだった。
木の楽器の音が木々に木霊していくのが、なんとも氣もち良かった。
高峯くんが前日に奉納演奏した天龍弁財天の鳥居を見つけて、神楽太鼓をそこに向けて演奏できるようにセットしてくれていた。
あれだけ霧で何も見えなかったところから、晴れわたる水面を見ながら演奏できるとは想像するあできなかったが、神計らいとは、このことか!!!という感じだった。
神楽太鼓を演奏している時は、本当に景色がよく見えていた。
最後の打音が湖面に響き渡っていき、残響が消えていく。
大銅鑼の音が響き始めてから、少し空氣が変わってきた。
氣がつば湖面に霧が舞い降り始めていく。
まるで霧の柱が立つ様で、その柱がどんどん巨大化していく様だった。
奉納演奏が終わると、あっという間に霧が立ち込め、白の世界に戻ってしまったのだった。
記念写真を撮った時には、もう真っ白。。。
小沼の神様が、奉納演奏の時だけ雨と霧を晴らしてくれていたとしか思えない天候だった。
そして、撤収が終わって駐車場に上がった時には、また雨が落ちてくるという。。。
撤収までスムーズに行わせてもらえて、なんというか、本当に良い機会を与えてもらえたなあと、感謝の氣持ちでいっぱいになった、「天空ノ祭禮2021」でありました。
この天候にも関わらず、10名以上の方々が駆けつけてくれ、この奇跡的な光景を一緒に体験してくれたのは、本当に嬉しいことだと思える。
小沼の目に言えない存在をはじめ、参加してくれたみんさん、関係者のみんなに心より感謝いたします。
また、来年この場所に帰ってきたいと思っております。