毎日が特別な事に違いはないが、一年の分岐点ともなっている夏至の日に能登に居るということで、みんなで海へ日の出を見に行こうという話になった。
日の出の前に出発するので、まだ夜の空氣に満ちている。
三輪福さんの拠点、梅茶翁の玄関の古木の板が、ライトに浮かんでかなり雰囲氣がある。
杉林が山の越しに見える三日月は、一瞬、山水画の様にも見えてくる。
海が身近にある生活をしたことがないので、自分にとっては、海は非日常であり、いつ行っても新鮮な感覚だ。
みんなで日の出を待つのも、また良い時間だ。
氣になるものを見ることができる時間は、とても豊かなひと時でもあった。
砂浜に自然に立っている枝や落ちている枝が、やけに素敵に見えてくるのも嬉しい。
刻一刻と変化していく空模様。海と山の違いはあれど、津軽の岩木山で見た、お山参詣の時の御来光を待っている時を思い出す。
海というのは、どこを撮っても絵になるのもマジックだ。
潮の流れの道が、生き物の様に見えてくる。
しかし、空と雲の様相と彩に魅入ってしまう。
夏至という日の朝だからなのか、テトラポットまで素敵なものに見えてくるのは不思議だ。
三輪福さんが、「日の出の前の音があるらしい・・・」と教えてくれたので、そんな音のリサーチも含め、待つ時間がとても充実していた。
そして、いよいよその時がやって来る。
太陽のエネルギーというものの、凄まじさは計り知れないものがあるんだと、しみじみ感じいる瞬間でもあった。
縁起良く、ツバメが映り込んでいたのも嬉しい。
やはり、ありがたくもある強烈なエネルギーだ。
なんとなく前向きに捉えつつだが、日の出の前の音なるものを感じることができた氣がしている。きっと普遍的な音の、生まれる前の段階のものなのかもしれない。
まあ、妄想族はある意味最強でもあるのである!!!
自分の居る場所へ向かって光の道が現れてくる。それは、誰にでも同じ現象として現れるわけで、そこにひとつの真理のカタチがある様にも感じる。
アマテラス無邪氣ーズの今ちゃんは、夏至の日の出を背景に、あり得ない高さから砂浜にジャンプしていた。
「子どもながらに、なかなかやるなぁー!!!」である。全ては、挑戦あるのみということかもしれないと思えた、夏至の朝でありました。
夏至の御来光、ありがとうございました!!!