花というのは、エネルギーがあるもんだなあ、と一枚。
これは、花畑ではなくて、花屋さんの店先に並んでいた花たち。造形的にも大小中などの様々な大きさがあるのが、バランスがいいいのかもしれない。
とても良い感じだった。
50号を桐生へ向かっていると、赤城山の方から雲が湧いてくるような光景に遭遇・・・。
雲の様子がどことなく物語の様な空模様の夕暮れだった。ちょうど翌日には、友人のお父さんの自然葬が、雲の湧いている赤城山の山麓で行われることになっていて、そこでお別れの演奏をすることになっていた。
なので、無関係な空模様でない氣がしてしまった。
手作りのお別れの会は、親族とごく身近な友人で執り行われ、20人ちょっとの人達が赤城山麓へ集まって行われた。
自然豊かな赤城山麓。故人を偲んで、柚の木の植樹が行われ、その後に俺の演奏となったのだった。
故人とも縁の深かった、友人からお借りしたソルフェジオ音階で、自立式の箱に音叉が取り付けられた特殊な音具をお借りして、冒頭部分で使われてもらう。この音が立ち上がっていく中に大銅鑼を始めた。
屋外での響きはどうかと思っていたのだったが、これが、とても良い感じに響いたのにはビックリした。故人への音ということだったが、普段と変わらない感じで始めたのだったが、自分自身の状態がいつもよりも、やけに低い重心というか、川の流れで言うと一番低い部分の流れとでも言ったらいいのか、絶対的な大きな流れがゆったりと流れている様な感覚が内部にある状態となっていた。
これには、ちょっとびっくりしたが、あの世とこの世を繋ぐ音の本質的な部分なのかな・・・という印象だ。
すべて終わった後の空模様は、なんとなく穏やかに感じられ、故人のご冥福を祈りつつ、この日のことを忘れることはないだろう。